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熱中の肖像

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東大出身医師の3分の1が登録するインターネット医局で医師不足を支援 / 熱中の肖像 インタビュー前編

MRT株式会社 代表取締役社長 馬場 稔正

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医師を半日単位から医療機関に紹介
登録医師2万人、紹介件数累計85万件

16年も前にシェアリングエコノミーの実践を始めたベンチャー企業がある。2000年に設立されたMRT(当時メディカルリサーチアンドテクノロジー)は、医師を求めている病院や診療所に、医師を紹介する事業を創出し、医師不足に悩む医療機関におおいに受け入れられた。医局からは、外勤の手配を代行してもらえる事業として重宝がられた。いわば医師不足の調整弁として機能している。

サービスを利用する医局は150医局、登録医師は2万人、紹介先医療機関は累計1万施設、紹介件数はじつに累計85万件におよぶ。

医師不足については、診療科と地域による「偏在」を主張する日本医師会に対して、勤務医で構成する全国医師連盟などが、医師資格保有者をカウントした医師数ではなく、現役で稼働する医師の実数が「不足」と主張するなど見解が分かれている。ただ、MRTの実績からは、不足という背景が読み取れるのではないか。

MRTは医師を平均時給1万円で紹介し、報酬総額の10~20%を手数料で受け取る。転職斡旋の人材紹介会社が受け取る年俸の30%前後の手数料に比べて格安だ。この料金体系も、2000年以降に推進された社会保障費削減策で経営が暗転した医療機関には、相当に魅力だろう。

MRTは14年に東証マザーズに上場。16年3月期業績は売上高10億151万円(前期比20・4%増)、当期利益1億4099万円(47・0%増)を計上し、17年3月期には、それぞれ12億円(19・8%増)、1億1600万円(17・7%減)を見込む。

それにしても、ベンチャー企業にとって医局はいまもなお敷居が高く、容易に組める対象ではない。何を突破口に食い込めたのだろうか。

MRTには前身がある。東京大学医学部附属病院の医師たちの互助組織で、医師同士が外勤を紹介し合っていた。メンバーだった冨田兵衛医師(現MRT会長・医療法人社団優人会理事長)と共に2000年に互助組織を有限会社メディカルリサーチアンドテクノロジー(以下「メディカル社」)として法人化し、インターネットによる紹介システムを開発した。06年に株式会社に改組し、14年に現社名に変更する。この沿革が成長力の土壌になったようだ。

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「株式上場をめざしましょう!」
社長就任祝いで社員が背中を押す

10年に社長に就任した馬場稔正氏は「医師の世界で何かをやるには、医師同士の口コミが圧倒的に強い。しかも東京大学ブランドが展開力を発揮して、口コミで医局との連携が進んでいきました」と振り返る。2000年以降の東大医学部卒業生は累計で1600人近いが、その3分の1がMRTに登録し、東大ブランドを持続させている。

馬場氏は1973年福岡県生まれ。医療ビジネスに関わる動機は交通事故だった。20歳のときに遭った交通事故で命を失いかけて「自分の命を救ってくれた医師と医療に貢献したいという思いが芽生えました」。1994年、国際医療福祉大学を運営する高木グループの日本医療サービスに入社し、グループを統括する高木邦格氏に随行して病院のM&Aを担当した。

その後、ときわ台セブンデイズクリニック参画を経て、02年にMRTの前身メディカル社に参画する。当初は株式上場をめざしていなかった。

「サイバーエージェントの藤田晋社長など同世代で上場した社長たちを見て、凄いな、カッコイイなと思う一方で、上場したらマスコミ対応などで大変なんだろうなと。とても上場をめざす心境にはなっていませんでした」

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その心境が一変したのは、馬場氏の社長就任祝いの席上だった。13人の社員一同が居酒屋で馬場氏を祝い、プレゼントに「馬場」とラベルに刷り込んだ日本酒を贈った。箱には「上場をめざしましょう」という社員の総意に加え、各社員が馬場氏への思いを書き込んだ。多くが馬場氏の真摯な人柄を敬愛する内容で、それを見た馬場氏は、上場への決意を固めたという。

11年には英国国立ウェールズ大学経営大学院修士課程を修了し、MBAを取得した。

インタビュアー

経済ジャーナリスト

小野 貴史

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