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DYM水谷佑毅氏が考える「社会を変える会社」を目指す形とは / インタビュー株式会社DYM
代表取締役社長 水谷 佑毅

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医療をはじめとした社会の諸問題を解決するために社長業を続ける

『世界で一番社会を変える会社を創る』を企業ビジョンに掲げる株式会社DYM。その実現に向けて、多角的に事業を展開している。

「創業時からの売上の柱であるWEBコンサルティング事業、その後に立ち上げ現在は利益の柱となっている人材事業、経験豊富なエグゼクティブの方とベンチャー企業や成長企業をマッチングし顧問活用のお手伝いをしているエグゼパート事業、海外で日本人をメインターゲットとして展開している海外医療事業、事業や会社の売り買いをマッチングするM&A事業、その他福利厚生事業やメディア事業、そして最近では新規事業として保育事業や飲食事業、スポーツ事業も行っています」

実は、同社では企業ビジョンを一度変更している。以前は、『IT×医療で世界No.1』というビジョンであったという。

「医療分野のIT化を推進したいという気持ちは今も変わっていませんが、実際に経営をして事業を行ってきた中で、医療分野に限らず様々な分野に社会問題が存在していることに気づきました。ですので、今のビジョンには医療のみに拘らず、広く社会の諸問題を解決していきたいという意思が込められています」

創業に至った時、水谷佑毅氏は医学部に在籍していた。本音をいえば、小遣い稼ぎが起業のきっかけであったと語る。

「私大の医学部は学費が非常に高かったので、高校時代までは貰えていた小遣いが廃止されました。大学生活をそれなりに楽しもうと思ったら自分で使ったり、遊ぶお金も必要だったため、当然ながらそこは自分で稼ごうと考えました。最初は一般的な大学生や、他大学へ進学した友人たちと同様にアルバイトをして収入を得ようと考えたのですが、それなりに忙しい医学部での生活を考慮すると時給1万円以上くらいの効率性を求めないと十分に必要な金額を稼げないと思ったのが始まりです。何のスキルも経験もない状態で、誰かに雇用されているという立場では時給1万円を超えるのは難しいと考え、思い切って起業することにしました」

もともとは卒業まで会社を継続させ、そのタイミングで売却する予定であった。売却して得た資金を元手に開業して医師としてのキャリアを歩もうと考えていたからだ。

「だから、社名にもあまり深い意味を持たせませんでした。安直に、医学部の水谷佑毅ということで、DYM(ドクター・ユウキ・ミズタニ)と名付けたのです」

ただ、描いていた計画は大きく転換することとなった。医療現場における課題に気付いたからだ。

「在学中に様々な医療機関へ視察や実習、研修等で赴いた際に、非常に医療分野のIT化が遅れていることを感じました。1人の医師である水谷佑毅としてではなく、経営者である水谷佑毅としてこうした社会的な課題に取り組み、解決していくことによって実質的に医師数十万人分以上の仕事、社会貢献ができたらと考え、医師免許は取得したものの医師として働くのではなく社長業を続けていくという決断をしました」

成長市場を厳選、新規事業にも意欲的に取り組む


創業以来、業績は好調そのものだ。16期連続で成長を維持。グループの売上高は100億円を超えた。躍進の要因はどこにあるのであろうか。

「まず、成長市場を厳選して事業を展開していることです。やはり、衰退縮小するマーケットで戦うのはセオリーではありませんので、とにかく伸びる市場、成長する市場で戦うことを徹底させています。また、人材採用に非常に力を入れており、優秀な人材が集まってきているという点も要因の1つかと思います」

新規事業を次々と生み出し続けている、積極的な企業姿勢も見逃せない。なぜ、そこまでこだわるのであろうか。

「理由は2つあります。1つは、やはり様々な分野に社会問題が存在しているので、そこへ進出していって課題を解決したいからです。もう1つは、会社として事業の柱を増やしていき、経営を安定化させるためです。遅かれ早かれ事業はいつか必ず衰退します。『事業の衰退=会社の衰退』とならないためには、事業ドメインをいかに分散させられるかが重要です。500億円の事業2本で1000億円の会社よりも、10億円の事業100本や5億円の事業200本で構成されている企業の方が不況にも強く安定と言えると考えています」

景況に左右されにくい盤石なビジネスモデルを確立し、右肩上がりを続けていると聞くと、企業経営は順風満帆で、経営者として一皮むけたといったターニングポイントとなる出来事などなかったように映るが、それは違ったようだ。

「組織化を進めていくなかで、『仕事を任せる』ということが大切だと学んだのです。どうしても会社が一定の規模になるまでは、なかなか良い人材が集まりにくいために、全てを自分でやっていました。営業からデザイン、プログラミングに経理、法務チェックや採用などです。ただ、やはりそれだけですと限界があると感じたところから、積極的に部下や若手に仕事を任せるようにしました。結果として、失敗もありましたが様々なことが進捗して会社の発展に繋がったと思います」

おかげで、最近は会社の知名度も上がり、優秀な人材を採用できるようになってきたという。だが、どれほど優秀なプレイヤーであっても、個人の能力だけでは競争に勝っていけない。会社をワンランク上のステージに移行させていくためにも、今後は組織力の強化を図っていきたいと水谷佑毅氏は語る。

「もちろん個の力も大切だとは思いますが、それ以上に組織力が大切です。社会問題を解決していくということは、非常に大きな事業規模で挑まなければなりません。そうなると高い組織力が必須ですから、組織力の強化は重要なテーマになってきます」

間違いなく、組織全体で勝負していけるようになればDYMの成長スピードはさらに加速していくに違いない。

立ち止まらずに変化し続ける。それが生き残りへの条件

「ベンチャー企業が生き残る条件は、とにかく変化し続けることだと思います。新しい事業を行う、人材を採用して拡大する等、現状維持は衰退と同じですので、立ち止まらずに変化し続けることですね。強者生存でなく適者生存なんです」

哲学者のハーバート・スペンサーや植物学者のチャールズ・ダーウィンらが唱えた『適者生存』の原則。ビジネスになぞらえば、環境の変化に適応できる企業だけが生き残るという意味になる。「絶対に潰れない企業」を作り上げるために何をすべきかを考え、実践していくというのが水谷佑毅氏の経営スタイル。その想いは、DYMが掲げる今後のビジョン「1000年後にも存在する会社」にも込められているといって良い。

「どう考えても私も今働いている社員も、1000年後は生きていないはずです。何故1000年にしたかと言うと、常に新規事業を立ち上げ続けて、いかなる時も衰退しない会社にしていきたいという想いがあるからです。変化を恐れずに新たな事業を創り続け、そういったDNAが受け継がれていくことを願ってこのビジョンを創りました」
ソフトバンクグループの代表取締役会長 兼 社長の孫正義氏は、会社の新30年ビジョンを描くために、300年後の世界を見据えた。水谷佑毅氏は、1000年後に向けた会社のDNA創出に意欲を燃やしている。『社会を変える会社』になるためには、壮大なスパンで事業を思い描いていかなければいけないということなのであろう。
最後に、ビジョンの実現に向けてどんな人材を求めているのかも聞いた。

「これは社内でも常に話していることですが、とにかく『素直・前向き・一生懸命』が大切ですね。素直に話を聞いて物事を考えて実践してみる。できない理由を挙げるのではなく前向きにできる方法を考えてみる。そして、何よりも一生懸命に取り組む。これが備わっている人は大抵活躍しますし、成長して実力をつけていきます」

ビジョンに共感し、『素直・前向き・一生懸命』である社員が、ワンチームで社会問題の解決に取り組んでいく。可能であるなら1000年後のDYMを見てみたいものだ。