顔認証の歴史なのですが、1989年頃に始まっています。最初はパターン認識技術の応用で2002年から製品化しました。私はちょうどこの頃から研究所のチームに入っています。2009年頃にチームリーダーになり、これだけのベンチマークをとれました。
記者:最初から顔認証技術の開発に携わろうという思いで参加されたのですか?
今岡NECフェロー:
最初は脳が専門でした。97年から約5年間は基礎研究で脳の研究、今で言うところのディープラーニングのようなことをやっていました。その能力が少しでも役立つところ、ということで顔認証技術を始めた形になります。そこから一生懸命やろうと思って、気合いをいれてここまで来ました。
記者:最初、顔認証技術の配属に決まった時はどのように感じられましたか。
今岡NECフェロー:
1件でもどこかに使ってもらえたら良いなと思って始めました。研究者は、ほとんどが小さな結果で終わってしまうことが多いのです。2002年から始めて、比較的早く2004年頃に海外で使われたときには、かなり満足しました。
記者:研究者さんの覚悟というのはそれほどなのですね。当時から考えると予想以上の結果でしょうか。
今岡NECフェロー:
やはり当時は失敗も多かったのです。目の部分を認識できずに眉毛を認識しようとしたり、そのようなことばかりでした。また、目の周りにはメガネという障害物がありますし、お年寄りは目のシワが多くて認識しにくかったりします。その頃は、本当に使える技術になるのかと常に不安に思っていましたね。
ですから今の成果は、とても嬉しく思っています。
記者:他の生体認証に比べて、顔認証の良い部分は何ですか?
今岡NECフェロー:
やはり利便性だと思います。手に荷物を持っている時も顔認証は顔を向けるだけで良い。また意外と顔認証をするのって面白いんです。「認証された」という、顔を認められるという面白さがあります。ユーザーの感性に働く部分ですね。
記者:ユーザー心理もあるということですね。御社は6つの代表的な認証技術をお持ちですが、今後IoTやAIが組み合わさっていく中で、生体認証はどのように組み合わさり、生活に溶け込むと思われますか。
今岡NECフェロー:
例えば医療の場合は、目を閉じたら虹彩認証は使えません。手術を受ける時に手を開かせるのが難しい場合は、指紋認証ができなくなります。逆に顔を覆っていたら顔認証はできませんし、そのように状況によってニーズが変わりますから、どのような場合にも対応できるよう組み合わさっていくと思います。組み合わさることで精度も上がります。
記者:手ぶらで生活ができる社会になりますね。免許証を持たなくても、顔認証とデータベースで照合ができます。
今岡NECフェロー:
はい、そこは法律の問題だと思っています。今はカード1枚が必要かもしれませんが、技術的にはカードが不要になるところまできています。例えば、今は社員証というものがありますが、これは少し面倒ですよね。社員証も携帯しなくてよくなると、楽になります。
ホテルでの顔認証利用にあたり、お客様ご本人が顔情報の登録・利用に同意していれば、たとえば、ホテルに入ったら、誰がホテルに 入ってきたかがわかる。そしてお客様の過去の利用履歴がわかれば、お客様に合わせたサービスを行うことができます。このように、顔認証は個人に適したサービス提供や、おもてなしに役立つものだと思っています。
記者:私が生まれたスウェーデンでは、日本のマイナンバーに当たるID番号が80年代くらいから国民に配られていて、それが銀行や公共サービスに紐付き、管理されています。顔認証などと組み合わせると、身分証がなくても生きていける社会になりますね。
今岡NECフェロー:
そうですね、そこが重要です。例えばアフリカのケニアでは、出産をして2時間も経つと帰宅するために退院してしまう人がいる。そうすると、子供の戸籍もなくわからなくなってしまいます。しかし、2時間で指紋だけでもとれば、指紋をマッチングさせることで、どこで生まれた赤ちゃんか分かるようになります。
記者:そのように個人情報を全て生体認証で承認し、使えるようにするというのは便利であると同時に、ハッキングのリスクも感じさせます。セキュリティについてはどのようにお考えですか。
今岡NECフェロー:
NECという会社は信頼されることが大事だと思っています。なので生体認証で利便性を高め、同時にセキュリティもきちんと対応します。
これはインターネットも同じで、悪いことをしようと思えばいくらでもできてしまいます。それを法律で縛ったり、社会の仕組みで縛ったりしていますが、生体認証にもこのようなアプローチは欠かせないでしょう。
記者:技術者の観点としては、暗号論的に安全な生体認証とデータ管理は可能ですか?
今岡NECフェロー:
使い方次第なところはありますが、可能だと思います。例えば秘匿暗号という技術がありますが、この技術は暗号をかけたまま情報と情報をマッチングさせて、つまり暗号を解かない状態で認証作業ができるというものです。もし暗号を解いてしまうと、中身を抜き取られてしまう恐れがありますが、暗号を解かないまま認証作業を行うことで、例えデータがハッキングされても、暗号化されているので中身を読み取られることはありません。
記者:なるほど。暗号のままAIに計算させるということですね。一方、顔認証技術そのものが持つセキュリティリスクなどはありますか?
今岡NECフェロー:
やはり顔が個人情報なので、リスクというよりもどのように技術を使うか、標準化するのかという社会の議論が重要になると思います。そこがまだ充分にできていません。例えばアメリカ社会のルールと中国社会のルールは違うので、各国で議論していくことが重要だと思います。
記者:御社はIoT社会をつくるのに必要なことを包括的に取り組んでいらっしゃいますが、今後は技術よりも法律や、どのように導入するかが課題となりますか?
今岡NECフェロー:
両方ですね。技術者としては同一人物の0才児のときの顔と30歳のときの顔で顔認証を100%正確にすることを目指したいですが、顔が変化するのでまだ難しいのです。だからこそ、どんな状況でも使える顔認証を作っていくという必要性があります。
記者:南紀白浜の例は、顔認証技術の社会実験になり得ると思うのですが、地域に導入する上で良い面と課題が見えてくると思います。南紀白浜の例からどのようなことをが分かりますか?
今岡NECフェロー:
課題と言いますか、顔を撮ることに対してやはり理解をしてもらう必要があります。技術は使い方次第です。しかし、南紀白浜の例のように、組み合わせて使うと素晴らしい価値が出ます。そこが大事かなと思っています。顔認証を単体で使うことがファーストステップだとすると、次のステップは複数の生体認証と組み合わせて、全てが生体認証で成り立つユーザー体験を創ることです。これをNECでは「アイディライト(NEC I:Delight)」と呼んでいるのですが、ここまでできると大きく変わってくると思います。
記者:
日本は生体認証やデジタル技術の開発が進んでいる国だと思うのですが、顔認証技術を日常で見かけることはあまりなく、一方で中国ではコンビニエンスストアでも使われていると聞きます。日本での導入に時間がかかる理由は何だとお考えですか?
今岡NECフェロー:
日本は慎重な社会ではあります。しかしオリンピックや訪日外国人の増加、あるいは物に触れずに認証を行うニーズの高まりから、顔認証技術の導入が大きく進むと思います。日本は変わり始めたら早いですから。意外と5年くらいで大きく変わったりします。
記者:日本の法律や制度には導入しづらいハードルがありますか?
今岡NECフェロー:
ハードルというよりは、個人情報の取り扱いなどしっかりと慎重に議論することが必要です。これはハードルではなく、日本の議論が他の国にも導入時に役立ったりします。日本のポジションはどこなのかを確かめながらやらなくてはいけないと思います。
記者:御社としては今後実証実験を増やしていきますか?
今岡NECフェロー:
そうですね。社会での受け取られ方というものは、実証実験を通じてでないとわかりませんでした。技術は良い所まで来ているのですが、実際に人々にどう使っていただくのか、使いやすさ、使う幅をどのように広げるかというところを実証実験で見極めていきたいです。
記者:世界的にDXが進む中、御社は生体認証の分野でどのような役割を担っていかれますか?
今岡NECフェロー:
指紋・顔・虹彩の全てでトップを取っている会社は他にありません。そこは弊社の強みとして活かし、世界をリードしていきたいです。日本の会社が世界を引っ張れる事例はまだまだ少ないです。そういった意味では来年のオリンピックを起点にガラッと変えていきたいですね。
私自身は、自分が50歳近くになって、あと10年の会社員人生が残っています。普通は研究が終わったら引退なのですが、まだ時間があります。だから技術を広げられるところまでやり切りたいですね。
インタビュー・執筆
ルンドクヴィスト ダン