莫大な借金を一気に背負うことになった中野里社長だが、今でも三代目である父親には感謝してやまない。先代が判断を誤らなかったからこそ、玉寿司の暖簾を守ることができたと強調する。
「引継ぎにあたり、三代目から『囲碁には捨石と要石がある』という話がありました。捨石は、相手に取られても影響のない石。玉寿司でいえば、一族の財産と個人的な名誉だと。一方、要石とは自分が有利な場面でも相手に取られたら形勢が逆転する石。それが、暖簾の信用と社員、そして後継者であると。『大きな負債を引き継げるのは、息子のお前しかいない』」と言われたのです。
苦難を正面から受け入れることを決意した中野里社長は、その後人との出会いにも恵まれ色々なチャンスを掴むことができたという。東日本大震災などもあったが、就任時に背負った借り入れは2016年に無事完済に至った。
「譬えれば、舟から荒波にドンと放り投げられ、島はあっちだからと必死に泳いでいたら浜辺に辿り着いたという感じでしょうか。今思うと泳いでいた時は充実していました。とにかく良い店を作るしかないと。もうそのタイミングでなくなったら、内的な感覚でふうっと抜ける感じがしたんです。これではいけない。荒波を乗り越えてきた次は、価値のある山に登ろうということで、今度は経営の質を高めるためのチャレンジをしています」(中野里社長)
もともと設定した目標は、何が何でも達成するという強い意識を持つ中野里社長が、新たなテーマとして打ち出したのが、より良い会社づくりだ。
「良い会社には、共通する条件があります。社員の満足度の高さ、持続的な成長、安定的な利益創出、社会貢献、そして独自の価値です。我々は、江戸前寿司の聖地である築地で最も古い寿司屋である。その価値を高めていきたい」と中野里社長は語る。
玉寿司大学を開校したのも、毎週PDCAを繰り返し健全なる自己否定を実践しているのも、すべては良い会社づくりのための施策といえる。2016年には、船井財団から「グレートカンパニーアワード 働く社員が誇りを感じる会社賞」を受賞。取り組みの成果は着実に生まれつつある。
「目指すは日本一応援される寿司屋です。お客様に真摯に向き合い、誠実に頑張っていく。商人道をぶらさず、コツコツと貫く。そんな寿司屋でありたいですね。もちろん、それは我々だけで実現できるわけではありません。川上・川中である卸と一緒になって新しいビジネスモデルを作っていきたいと思います。時には卸に厳しいことをいう場面もあります。それがお客様の笑顔のためであると受け止め、お互いにWin-Winとなる関係を作っていけるパートナーと仕事をしたいですね」