設計事務所勤務を経て、鐘撞氏が独立して個人事務所・フリーダム設計を立ち上げたのは1995年4月、24歳のときだった。きっかけは阪神淡路大震災である。専門学校の同級生には工務店の2代目が多く、彼らが建てた家屋が次々に倒壊した。
その直後、学生時代からデザインとプランニングに秀でていた鐘撞氏に、同級生たちからアルバイトでの設計プラン依頼が持ち込まれる。約10件におよんだ。
「設計事務所への在籍をつづけるつもりで働いていましたが、私個人に設計依頼が入ったことで、独立したほうが勉強になると思って起業しました。ただ、経営者としてのビジョンはなく、あくまで有名建築家になることをめざしていました」
それから23年が過ぎた。この間、個人事務所をフリーダムアーキテクツデザインに法人化し、注文住宅設計に特化した事業を展開。社員は設計者160人を含む約200人。17年度の設計実績は400棟に達した。
何が稀代の建築家を志した鐘撞氏を経営者に転身させ、フリーダムを成長拡大させたのか。
フリーダム設計を立ち上げた当初、鐘撞氏は、かりに1件当たり建物価格が1000万円で設計料が10%なら、10件で1000万円の売り上げになると試算した。この試算は妄想だった。設計プランした案件が成約に至らなければ設計料は発生せず、10件のうち成約に至ったのはわずか1件だったのだ。
しかも、設計料は建物価格の10%ではなかった。発注者である工務店の言い値で決まり、2500万円の案件で支払われた設計料は30万円にすぎなかった。独立して1カ月後にこの現実に直面した鐘撞氏は、すでに1人のスタッフを雇っていて、手堅く人件費を賄える方針にシフトする。
神戸市や明石市の設計事務所を訪問して、図面1枚を1万5000円で請け負うという営業を展開したり、建築確認申請を1件10万円で請け負うと記載したDMを不動産会社や工務店に送付して、送付先に電話セールスをかけたりした。
その1カ月後、1000万円の売り上げが入り、図面作成と建築確認申請代行を2年間つづける。
しかし、このままでは発展性がない。そう判断した鐘撞氏は、受託先を不動産会社に絞り、宅地開発プロジェクトに参画した。開発許可申請の代行を請け負い、許可が下りたら付随して住宅設計も委託され、スタッフは5人に増えた。
その後、鐘撞氏は不動産会社の下請けから脱して、施主からダイレクトに受注する事務所経営に切り替える。坪45万円で施主のニーズに対応できる設計・施工を考案し、新聞折込チラシを撒いたところ、50組が来社して1組が制約した。1845万円の建物価格だったが、この価格は相場に比べて、どんな水準なのだろうか。
「同じ物件を設計事務所に依頼すれば価格は2倍、ハウスメーカーなら2600万円、工務店でも2200~2300万円はかかったでしょう。施主は好意的な方で『これだけリーズナブルな価格で住宅を持てるのなら』と自宅を開放した見学会を提案してきました」
新聞折込チラシで告知した結果、見学会を経て5件を受注。以降、神戸市や明石市、芦屋市などで芋づる式に受注が増えつづけ、平均単価2500万円で、年平均30棟を受注するまでに安定した。フリーダムが手がけた物件は建築専門誌にも特集される。
鐘撞氏は「この時期がフリーダムの原点になりました」と回想する。
建築専門誌への掲載を契機に、関東からも依頼が入るようになる。鐘撞氏は、毎週土曜日に上京して依頼主にヒヤリングしてから、ホテルで図面を作成して翌日に提出する作業をつづけた。この特急仕事は半年におよび、3棟を受注したのち東京オフィスを構えた。
経済ジャーナリスト
小野 貴史