そう考えた佐野氏は通信業界に就職することを決める。
「当時将来性があると思ったのは不動産業界と通信業界ですが、通信業界はNTTが自由化してまだ数年。どんどん伸びていて、新しい業界だから古いしがらみもない。それでこちらだと思いました」。
意外なことに、学生時代は人前で話すのが苦手だったというが、努力の結果、トップセールスマンにもなり、管理職としても頭角を現す。
「セールスができることも大切なのですが、マネジメントができることが非常に大事ですね。プレーヤーだけやっていたら上にはいけないし、組織も成り立たなくなる。最初は5、6人をまとめる管理職から始まり、23歳の頃には800人の組織を見るまでになりました」。
管理職として、営業マンのまとめから、BS、PLなどの財務部門経営状況の把握、支社の立ち上げ、採用、教育などに携わった。各地を飛び回る激務であったが、徐々に組織を動かす醍醐味に目覚めていく。
「マネジメントは非常に大変でしたが、自分や組織の成長があれば楽しいんだな、面白いんだなという気持ちが芽生えてきました。それで、マネジメントを会社というしくみに置き換えていくこと、つまり起業の次期を考え始めました」。
サラリーマンが起業する場合は、様々なシミュレーションをし、やれそうだとなった上で会社を辞めるのが普通だ。しかし、佐野氏は出張の途中に突然新幹線を降り、縁もゆかりもなかった富士宮市で、起業のためのオフィスを借り、会社を辞めた。
「なぜ、そこでと驚かれるのですが、日本一の山、富士山を見て、やるからには日本一を目指そうと、富士山が見える地でオフィスを借りたのです」。
そこから、社長、営業、総務、電話番、掃除係と、全てを一人でこなす孤軍奮闘が始まる。800人もの部下がいたのなら、何人かの部下を連れて独立してもよかったのではないか。
「手伝いたいと言ってくれる部下もたくさんいたのですが、全員断りました。恩義のある会社から、引き抜いてやりたくはなかった。ただ、勤めていた会社を退職し、面白そうだからやりたいと言ってくれた人物だけは、採用しました。東京から地方へと一大決心して来てくれたわけですから。それが、今の取締役上級執行役員管理本部長です」。