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  4. どんな産業も置きかわるから、 まず自分自身で置きかえる ~常に時代を読み、積極的に攻める~ | 『熱中の肖像』vol.27 株式会社ビジョン 佐野 健一社長 前編

どんな産業も置きかわるから、まず自分自身で置きかえる~常に時代を読み、積極的に攻める~ / 熱中の肖像インタビュー前編株式会社ビジョン
代表取締役社長 佐野 健一

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海外渡航者向けに「グローバルWiFi®」を展開するビジョン。世界各国の通信キャリアと提携し、安価でセキュアな環境でネット接続できると大ヒット中だ。社長の佐野健一氏は大企業に勤めるトップセールスマンで事業部長だったにもかかわらず、ある日出張の途中で思い立って新幹線を降り、富士山のふもとで起業のためのオフィスの契約をしたという。そこにはどんな想いがあったのか。

佐野氏の起業の原点、それは子供時代にあるという。

「母が経営する居酒屋にくるサラリーマン達は、いつも会社の不平不満を言っていましたね。かたや父が営む工務店で働く職人達や商売をしている人達は、エネルギーがあって幸せそうに仕事をしていた。それを見て、自分も何か商売をしたい、と考えるようになりました」。

小学校、中学校、高校は徹底してサッカーに打ち込み、優勝も経験した。

「サッカーに集中して掘り下げると、できないことができるようになると分かったのは非常に良い経験でした。ただ、サッカーには詳しくても、他の分野については分からないことがたくさんありましたし、まずゼロから1を作り出す方法を身につけなければいけないと感じていました」。

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サラリーマンでマネジメントを学ぶ

そう考えた佐野氏は通信業界に就職することを決める。

「当時将来性があると思ったのは不動産業界と通信業界ですが、通信業界はNTTが自由化してまだ数年。どんどん伸びていて、新しい業界だから古いしがらみもない。それでこちらだと思いました」。

意外なことに、学生時代は人前で話すのが苦手だったというが、努力の結果、トップセールスマンにもなり、管理職としても頭角を現す。

「セールスができることも大切なのですが、マネジメントができることが非常に大事ですね。プレーヤーだけやっていたら上にはいけないし、組織も成り立たなくなる。最初は5、6人をまとめる管理職から始まり、23歳の頃には800人の組織を見るまでになりました」。

管理職として、営業マンのまとめから、BS、PLなどの財務部門経営状況の把握、支社の立ち上げ、採用、教育などに携わった。各地を飛び回る激務であったが、徐々に組織を動かす醍醐味に目覚めていく。

「マネジメントは非常に大変でしたが、自分や組織の成長があれば楽しいんだな、面白いんだなという気持ちが芽生えてきました。それで、マネジメントを会社というしくみに置き換えていくこと、つまり起業の次期を考え始めました」。

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富士山のように日本一を目指して起業

サラリーマンが起業する場合は、様々なシミュレーションをし、やれそうだとなった上で会社を辞めるのが普通だ。しかし、佐野氏は出張の途中に突然新幹線を降り、縁もゆかりもなかった富士宮市で、起業のためのオフィスを借り、会社を辞めた。

「なぜ、そこでと驚かれるのですが、日本一の山、富士山を見て、やるからには日本一を目指そうと、富士山が見える地でオフィスを借りたのです」。

そこから、社長、営業、総務、電話番、掃除係と、全てを一人でこなす孤軍奮闘が始まる。800人もの部下がいたのなら、何人かの部下を連れて独立してもよかったのではないか。

「手伝いたいと言ってくれる部下もたくさんいたのですが、全員断りました。恩義のある会社から、引き抜いてやりたくはなかった。ただ、勤めていた会社を退職し、面白そうだからやりたいと言ってくれた人物だけは、採用しました。東京から地方へと一大決心して来てくれたわけですから。それが、今の取締役上級執行役員管理本部長です」。

インタビュアー

株式会社KSG
眞藤 健一