「慶應義塾大学院理工学研究科でコンピュータに関する研究を行ない、その知識を活かして30歳までに起業したいと考えていました」という須田代表は田中氏と意気投合。年が明けると出資を募るために休日など使って、創業から2年後のIPOなどを目標に据えた事業計画書を携えながら、友人や知人のところを回り始める。その時の合言葉が「世の中を変えるぞ!」「おう!」だったというから、いかに2人が情熱を込めていたかがわかる。もっとも、友人のなかには「電話で話を聞いただけでも面白そうだから」といって、事業計画書に目を通さずに出資を決めた人も少なくなかったという。
結果、賛同してくれたのは50人余り。自分たちの出資分も合わせた6000万円を資本金にして、04年2月に設立されたのがエニグモだった。一風変わった社名だが「謎」を意味する英語の「enigma」に由来しているそうだ。そして、すぐにバイマのシステム構築に入るのだが、ここで最初の試練が須田代表を待ち受けていた。システムの構築を依頼していた開発会社が、納期に間に合わなくなったことから〝夜逃げ〟してしまったのだ。
「広告代理店にいたこともあり、サイトのローンチに合わせた記者発表会やパーティーなどのイベントを準備万端整えていました。しかし、用意していたロゴ入りの団扇なども含めて、すべて無駄になってしまったのです。契約した開発費を事前に支払っており、銀行口座の残高は100万円を切っていました。6000万円ものお金を集めておいて、『何もできませんでした』では申し開きになりません。そこで、その開発会社の親会社に何度も掛け合って開発費を戻してもらい、ようやく05年2月にバイマのサイトを開設できました」
この須田代表の言葉を聞いて感じるのは、「出資者=株主」に対する経営者としての「強い責任感」である。起業によって創業者利益を大きく取ろうとするのなら、できるだけ出資者を少なくするというのが1つの資本政策であろう。しかし、何かの拍子で事業が躓いたときに、「自分が出資してつくった会社だから」と簡単に諦めがついてしまうデメリットもある。いい意味で須田代表は、「株主になってくれた友人や知人たちを絶対に裏切らない」というプレッシャーを自分自身にかけながら、事業を育ててきたのではないか。
しかし、念願のサイトの立ち上げ後、須田代表は息をつく暇もなく、そのプレッシャーを再び全身で感じることになる。ショッピングの成約がほとんどないのだ。あっても知り合いによるものばかり。立ち上げから30日後に、まったく関係のない人からの注文による初めての成約があった。しかし、それでエニグモに入る手数料がいくらかというと、わずか400円程度。「それからも成約が1日数件という日が続き、会社の近くの神宮で行われる花火大会に来る人に、ローンチのイベント用につくっていた団扇を配ったり、懸命にPR活動をしました」と須田代表は振り返る。
そして、ここで1つ目の大きな決断を下す。「バイマについてはゆっくり育てて大きく刈り取る」ように方向転換をしたのだ。となると、新たな収益源を確保しなくてはならない。そこで目を付けたのが、急速に普及し始めていた「ブログ」を活用した広告ビジネスで、組織化したブロガーに報酬を支払って宣伝をしてもらう「プレスブログ」を05年12月に立ち上げた。すると、これが見事にヒットし、エニグモは一息つける状況となったのである。