1. TOP>
  2. 社長・代表 取材・インタビュー>
  3. 熱中の肖像
  4. 最初の起業に失敗、「仕事で人の役に立とう」と再出発 |『熱中の肖像』vol.9 クラウドワークス 吉田社長 前編

最初の起業に失敗、「仕事で人の役に立とう」と再出発 / 熱中の肖像インタビュー前編株式会社クラウドワークス
代表取締役社長/CEO 吉田 浩一郎

  • feedy

日本最大級のクラウドソーシングサイトに発展

最近、「クラウドソーシング」という言葉を、よく耳にするようになったのではないだろうか。
クラウドソーシングとは、簡単に言えば、ネットを通じて、業務を外部のおおぜいの人に委託すること。例えば、新商品の商品名やロゴを社内で募集しても、アイデアを出せる人数には限りがある。社外の人からアイデアを募集すれば、さまざまなアイデアが寄せられるのを期待できる。そうした仕組みをシステム化して、業務を発注するクライアントと業務を受注する個人事業主を、サイト上でマッチングするサービスを提供しているのがクラウドワークスだ。
現在、登録会員数は70万人以上で、クラウドソーシングのサイトとしては、日本最大級に成長しているという。

基本的なビジネスモデルはこうだ。クライアントは、業務を請け負ってくれる個人事業主をサイトで募集する。個人事業主が応募してきたら、条件を交渉し、合意できたら契約。業務が完了したら、報酬を支払う。個人事業主は、クラウドワークスに手数料(システム利用料)として、報酬の5~20%を支払うという流れだ。委託できる業務の種類は、ホームページやアプリの制作など188種類。登録している会員はシステムエンジニア(約12万人)、Webデザイナー(約13万人)など、ネットを通じて仕事のやり取りができる職種が多い。そのほか、大企業向けには、エンタープライズサービスを展開しており、複雑・大量の業務の分解、会員への発注、成果物の質と納期の保証まで一貫したサポート体制を整えている。

crowdworks-yoshida1-1

クラウドソーシングの利点は、労働のマッチングがネットを介して全国レベルに広がること。これまで“1対1”の取引にほぼ限られていたクライアントと個人事業主の関係が、“多対多”の関係に転換するわけだ。

クライアントは、新しい委託先を探しやすいし、急いで仕事を頼みたいときでも、引き受け手を簡単に見つけられる。取引ルートが少ない中小企業の利用が多いように思われるが、トヨタ自動車、ソフトバンク、ヤマハといった日本を代表する大企業も利用している。また、6省庁、30~40の地方自治体の利用実績もある。

ポテンシャルのある個人事業主なら、今まで接点のなかったクライアントを開拓し、ビジネスチャンスを拡大しやすい。実際、最高で年収2000万円を稼ぐ会員もいるという。地方在住の主婦、シニア、ハンディキャッパーでも仕事ができる。時間の空いたとき、サイドビジネスを探すのにも向いている。「埋もれていた労働力を引き出すことができる。日本の働き方革命につながりますよ」と、同社の吉田浩一郎社長は意気込む。

吉田社長が、クラウドワークスを立ち上げたのは2011年。しかし、そこに至るまでには、さまざまな曲折があったそうだ。吉田社長は大学卒業後、パイオニアに就職。「学生時代、演劇に熱中していたのですが、舞台で音響機器に興味を持ったのがきっかけ」と語る。カーナビのトップセールスとなるなど営業でたちまち頭角を表すが、2年後には展示会ビジネスを展開する外資系のリードエグジビジョンジャパンに転職、4年間在籍した。「当時、展示会ビジネスは定着しておらず、営業も新規開拓が求められていました。パイオニアではルートセールス中心でしたが、環境が変わっても自分の力が通用するか試したかったんです」(吉田社長)。そこでも手腕を発揮し、マネージャークラスまで昇格するが、マネジメントを経験したことで、今度は企業経営に関心が向く。「大前研一さんの起業家養成スクールに参加したんですが、ITビジネスの将来性に目を見開かされました。そのときの縁で、ドリコムが営業担当の幹部を探していることを知り、移籍したんです」。

crowdworks-yoshida1-2

執行役員としてドリコムのIPOにも携わったあと、08年には起業を果たす。しかし、ベトナムのアパレル事業などさまざまなビジネスを手がけたのだが、なかなか軌道には乗らなかった。「ビジネスがうまくいかないと、その穴埋めのために、別のビジネスに飛びつくという繰り返しでした」と、吉田社長は振り返る。「僕は、仕事をするときは退路を絶って自分を追い込み、わき目も振らずに打ち込んできたので、営業成績はよかった。しかし、人の上に立ったとき、マネジメントで失敗しました。仕事を任せられなかったんですね。それで、下の人たちが離反してしまったのだと思います」

会社に見切りをつけたほかの役員や社員が出て行ってしまい、吉田社長は一人、取り残された。大きな挫折だった。ところが、そこへ拾う神が現れた。

「ちょうど年末で、誰もいないオフィスで茫然としていたところ、お得意先からお歳暮が届いたんです。『こんな僕でも、世の中には感謝してくれる人もいるんだ。少しは役立っているんだ』とジンときました。そこで、GMOの熊谷正寿社長の言葉を思い出したんですね。人の役に立たなければ、仕事をする意味はない。その原点に帰ろうと決意しました。自分にあるのは、ホールセールとITビジネスのノウハウです。それを生かして、社会に貢献できるビジネスモデルをもう一度、作り直すことにしたんです」

吉田社長にとって第2の創業だった。クラウドワークスの誕生である。