当然、1000億円企業の創業者としてのプライドがあったはず。しかし、そのとき平野氏の目に映っていたのは、短期派遣を利用していただいていた数多くのクライアントと、現場で汗を流しながら一生懸命に働いている大勢の登録スタッフの姿だったという。クライアントの仕事に支障をきたしたり、頑張ってくれている登録スタッフの就業機会を脅かすようなことがあってはいけない。それゆえ「自分のプライドなどかなぐり捨てても構わない」と平野氏は判断したのだろう。
それからは、法令に合致した派遣業務の受発注システムをどう組むか、日々のオペレーションの見直しなど、全社をあげての業務改革に乗り出す。しかし、08年のリーマンショックをきっかけに、業績は07年9月期から3期連続で当期純損失を計上した。「自己資本が100億円を超えていたこともあったのですが、このときには債務超過ぎりぎりのラインまで落ち込みました。まさに毎日、薄氷を踏む思いでした」と平野氏は振り返る。
そして、09年5月に「新3か年計画」をまとめたのを機に、同年12月に平野氏は取締役相談役に退く。さらに、14年3月にはその取締役相談役からも退いた。その理由について平野氏は、「法令に合わせて形が変わるにせよ、短期に対するニーズは不変で、クライアント、登録スタッフに対して付加価値の高いサービスはこれからも求められるという信念に変わりはありませんでした。しかし、経営から完全に離れて、人材ビジネスについて何が本当のサービスか客観的に見直すことも大切ではないかという思いが募ったのです」と語る。
そこで改めて感じたことは、やはりビジネスをしているとクライアントに寄った考えをしてしまうこと。でも決して働いてくれている登録スタッフを忘れたビジネスをしてはいけない。そして「売り手よし」「買い手よし」「世間よし」の「三方よし」のとおり、世間に受け入れられるビジネスをしなければ、事業が未来永劫続いていくことは難しい。平野氏にそう思わせた出来事があった。全権を委ねていた経営陣から短期ニーズのビジネスを継続するために、大きくビジネスモデルを変更する提案を受けたのだ。
12年10月の労働者派遣法の改正で雇用期間が30日以内の短期派遣が原則禁止されるのに伴い、アルバイトとして直接雇用してもらう短期人材紹介と、そのアルバイトの給与計算などの雇用管理代行業務に主軸を移すものであった。創業者が手塩にかけた事業を手放すことになったが、平野氏は「外部環境の変化にアグレッシブに対応していくことが重要です。例外規定で短期派遣を続けようとする同業者が大半でしたが、仮に適正に運用したら就業できるスタッフは50%、立法趣旨からしても受け入れられるものではなく、それでは地に足のついた事業になりません」と言い切る。
新しいビジネスモデルでは様々な変化も伴い、切り替え当初はクライアントの理解をなかなか得られなかったが、景気回復による人手不足感の高まりなどを受けて、いまでは毎月2000~3000社のクライアントが短期人材紹介を利用するようになっている。また、毎年同サービスを利用する登録者は増え、その数が年間20万人を突破するのも秒読み段階に入った。フルキャストホールディングスの想いは形を変えても選ばれ、しっかりと地歩を着実に固めつつあるようだ。
そして今年3月に平野氏は取締役会長に復帰した。「経営の前面に出るつもりはなく、坂巻一樹社長をはじめ若手の経営陣のアドバイザー的な役割に徹し、新しい取り組みがさらに軌道に乗るようにサポートしていきたい」と平野氏はいう。知見を一層深めた平野氏と、時代の変化に柔軟に対応していく坂巻社長をはじめとする若手経営陣との二人三脚によって、新生フルキャストホールディングスがどう成長していくのか、目を離すことができない。