起業して、まずどのようなビジネスを考えたのだろうか。
「実はやりたかったのはグル―ポンのようなサービスです。しかし、グル―ポンは一見インターネットサービスに見えるけど実はリアルサービスなので、多数の営業マンも必要で、大資本でないと難しい。まだデバイスも成熟していなかったので、2001年当時では早すぎた」。
やりたいことと、実際に事業として展開できることは違う。そう考えた小渕氏は最初の仕事は受託開発からはじめる。
「着メロなどの伸び盛りの企業、パチンコ、パチスロなどの資金が潤沢な企業から受注できたおかげで弊社も順調に拡大していきました。受託開発は『勝ち馬に乗れ』が鉄則です」。
受託開発で足元を固め、2002年からはいよいよコンテンツサービスに乗り出す。小渕氏が目をつけたのはファミコンを中心に全世界約1000万本の大ヒットとなった「熱血硬派くにおくん」シリーズだった。当時次々とファミコンの名作が復刻されていたが、「熱血硬派くにおくん」はメーカーが倒産していた。
「くにおくんシリーズの非公式ファンクラブサイトの管理人さんを探し出して直接アプローチし、そこから順に元開発者さん、営業本部長さん、会長さんと紹介してもらって交渉し、ようやく版権をお借りできました。コンテンツプロバイダーになってはじめて配信したのがこの『熱血硬派くにおくん』なので思い出深いですね」。
受託開発と並行してコンテンツプロバイダー部門を拡大しようとしたのも束の間、小渕氏は潮目の変化をいち早く感じとり、コンテンツから軸足を移すことを決断する。